もうすぐ80歳になると若いつもりでもあちこちが悪くなる。
まず弱冠30台で老眼になった。当時ドラフターで図面を書いていたが最近下手になったと思っていたが、眼科に行って老眼ですねと言われひどく驚いたが、老眼鏡をかけたらすっきり見えた。妻は50歳ぐらいになってやっと老眼鏡を買っていた。
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老眼 |
次は60台で、眼鏡を変えようと思って眼科でみてもらうと、君の右目は見えていないといわれた。どうも網膜上膜という先天性の病気らしく手術が必要と言われ、覚悟を決めるのに半年ほどかかった。右目の網膜の上に薄い膜ができていて、目玉に3本の管を刺して2本で何か液を入れ出しし、残りの1本を使ってピンで上膜をとる手術だった。執刀した医師が高齢で「あれ、膜はどれだ?」と探っていると若いアシスタントが「先生、もう取れてます」というのを聞いて気が気ではなかった。無事終わって右目は見えるようになったが、右目の網膜が上膜でしわしわになっていて映る像がひどくゆがんでいる。左は普通なので映像が重なって見え手術前より見えにくくなっている。少しずつ平らになってきているが完全に治ることはないようだ。
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網膜上膜の手術 |
この時緑内障の傾向があるといわれ、今でも眼圧を下げる薬をもらっている。
目の手術の話を聞くと「ひえー」と怖気立つので、ときおりしておもしろがっている。
70台になると次々と悪くなっていく。パソコンなら部品をとっかえたり、買い替えれば新品になるが自分の体はそうはいかない。次は耳だった。テレビの音がうるさいと妻や息子に言われて気づいた。最初は耳鳴りから始まり徐々に聞こえが悪くなってきている。ネックスピーカーを買ったが家族がテレビの音とそのスピーカーの音が重なって聞きづらいとまた文句を言いだした。それで使わなくなると同時にテレビを見ること自体をやめてしまった。
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Vibe Mini8 |
それでも家族の話が聞きづらいので補聴器を買うことにして市内の補聴器の店で試聴させてもらい、さらに横浜まで行って何店舗かで聞いたが結局アマゾンの通販が一番安いのでそれを買った。父親が補聴器をしていたがつけてみると周囲の雑音がやたらとやかましくて聞きづらかったがこれはかなり良かった。ただ健常な耳の状態に完全に戻ることはない。妻が儂に話しかけるのは普通に聞こえるのに、妻が息子と話している内容は聞き取れない。悪口を言われても聞こえないのでそれはそれでいいのだが、妻はどうも無意識に息子と儂で話し方を変えているみたいと言っていた。
今度は大腸がんだ。おなかの調子が悪いので医者に行くと風邪でしょうと言われたがどうもおかしいと別の医院に行ってみた。内視鏡を入れましょうと言われ数日後にケツの穴からカメラを入れたが途中で入らなくなり、これは腫瘍だと言い出した。s上結腸癌だと大病院への紹介状を書いてもらっていくと、すぐ手術する、明日か明後日と言われおどろいた。余命何年、何か月かと聞いてもわからないが手術をしないと1週間で死ぬと脅された。
あわただしく準備をして即入院。翌日には数時間の手術が行われ、無事摘出しました、大腸の外には広がっていないのですぐ転移はしないと思うが、5年は様子を見ましょうと言われた。全身麻酔で手術はあっけなかったがその後は大変だった。痛いのに無理やり歩かされて看護婦が美人だったのが唯一救いだった。寝ている間にその看護婦に導尿管をチンボから引き抜かれていたのは恥ずかしくなった。
次の年に内視鏡で小さな腫瘍があるといわれてまた内視鏡でえぐられたが、その後は内視鏡はいいと断り二度とやらなかった。
5年たってもう大丈夫と言われ無事放免された。
75歳ごろ車を運転していて高速道路の道案内パネルがにじんで読めないことに気づき、眼科で聞くと白内障ですね、手術をすれば治るといわれた。
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白内障 |
眼の手術は2度目で大病院で水晶体の交換で見えるようになった。目の手術は部分麻酔なので、水晶体が外されて完全なピンボケ状態から、プラスチックレンズを差し込んで見えるようになるまですべて見れた。
周りがキラキラして見づらいと医師に言うとすぐ慣れるといわれた。強い近視だったが弱い近視になってメガネがなくても一応見れるようになった。水晶体と違いプラスチックレンズなので遠近の焦点調整はできないがなれると気にならなくなる。
今は目にプラスチック、耳に補聴器とサイボーグ状態になっているが科学の進歩は素晴らしいと思う。