2023年11月20日月曜日

鉄道模型

 息子が幼いときはよく踏切まで電車を見に行ったものだ。その後は電車のおもちゃを買い与えるととても喜んだ。最初は木製レールを買い与えた。とても喜んで暇さえあれば出して遊んでいた。プラレールは儂が嫌いで買わなかった。


6歳ぐらいから鉄道模型のNゲージを買ってあげた。これは少し早かったみたいでSLはすぐこわわされて何度もKATOに修理にもっていって顔を覚えられた。よく読むと8歳未満には与えないように書いてあった。個人差があるだろうと思っていたが息子が8歳になると全く壊さなくなった。代わりに儂が電車を書棚から落下させて何度も行くようになった。

 そのころ自宅を作ったが鉄道模型をおきたかった。京都の町屋のように敷地が縦に長くて幅がないので、鉄道模型が周回する部屋など作れず設計段階でかなり苦労した。玄関はいると長い廊下を通ってリビングに出るようになっている。その廊下に鉄道模型を作ろうとしたが線路を周回させるのに廊下を横切るわけにもいかず、苦慮した結果廊下に書棚を置き、出窓を作りその中棚で線路が周回するようにした。

書庫(左右に出窓)

この書庫は建築が終わってから図面を起こして建具屋に部材を発注し自分で組み立てた。

書庫を右側から

狭いからかなりきついがとりあえず走るようにはなった。最初はDCだったが途中からDCCに変えてパソコンで運転操作ができるように考えている。しかしDCCの情報があまりに少ないので今のところ高価なDCで動かしている。

SLやアメリカ気動車、新幹線、湘南電車、中央線(カメラ付き)、DL、ELなどいろいろ買ったが狭いせいか脱線ばかりしている。そのためなかなかジオラマづくりに入れない。息子に頼むと助けてくれる。彼は若いから儂が見てもわからない原因を一目で見つけて直せるが、ただ幼いときは鉄道模型が大好きだったが最近はパソコンゲームに嵌まっていて、自分から手を出してくれないのが悲しい。

まあ息子が結婚して子供でもできるとまたやりだすかもしれないと、かすかな希望を持っている。もう築12年になるが一向に完成しないもので妻からはいつできるの?と何度も聞かれて困っているのだ。生きているうちにできそうもないが、息子よ後は頼む。

2023年11月10日金曜日

経年劣化

 もうすぐ80歳になると若いつもりでもあちこちが悪くなる。

まず弱冠30台で老眼になった。当時ドラフターで図面を書いていたが最近下手になったと思っていたが、眼科に行って老眼ですねと言われひどく驚いたが、老眼鏡をかけたらすっきり見えた。妻は50歳ぐらいになってやっと老眼鏡を買っていた。

老眼

次は60台で、眼鏡を変えようと思って眼科でみてもらうと、君の右目は見えていないといわれた。どうも網膜上膜という先天性の病気らしく手術が必要と言われ、覚悟を決めるのに半年ほどかかった。右目の網膜の上に薄い膜ができていて、目玉に3本の管を刺して2本で何か液を入れ出しし、残りの1本を使ってピンで上膜をとる手術だった。執刀した医師が高齢で「あれ、膜はどれだ?」と探っていると若いアシスタントが「先生、もう取れてます」というのを聞いて気が気ではなかった。無事終わって右目は見えるようになったが、右目の網膜が上膜でしわしわになっていて映る像がひどくゆがんでいる。左は普通なので映像が重なって見え手術前より見えにくくなっている。少しずつ平らになってきているが完全に治ることはないようだ。
網膜上膜の手術
この時緑内障の傾向があるといわれ、今でも眼圧を下げる薬をもらっている。
目の手術の話を聞くと「ひえー」と怖気立つので、ときおりしておもしろがっている。

70台になると次々と悪くなっていく。パソコンなら部品をとっかえたり、買い替えれば新品になるが自分の体はそうはいかない。次は耳だった。テレビの音がうるさいと妻や息子に言われて気づいた。最初は耳鳴りから始まり徐々に聞こえが悪くなってきている。ネックスピーカーを買ったが家族がテレビの音とそのスピーカーの音が重なって聞きづらいとまた文句を言いだした。それで使わなくなると同時にテレビを見ること自体をやめてしまった。

Vibe Mini8
それでも家族の話が聞きづらいので補聴器を買うことにして市内の補聴器の店で試聴させてもらい、さらに横浜まで行って何店舗かで聞いたが結局アマゾンの通販が一番安いのでそれを買った。父親が補聴器をしていたがつけてみると周囲の雑音がやたらとやかましくて聞きづらかったがこれはかなり良かった。ただ健常な耳の状態に完全に戻ることはない。妻が儂に話しかけるのは普通に聞こえるのに、妻が息子と話している内容は聞き取れない。悪口を言われても聞こえないのでそれはそれでいいのだが、妻はどうも無意識に息子と儂で話し方を変えているみたいと言っていた。

今度は大腸がんだ。おなかの調子が悪いので医者に行くと風邪でしょうと言われたがどうもおかしいと別の医院に行ってみた。内視鏡を入れましょうと言われ数日後にケツの穴からカメラを入れたが途中で入らなくなり、これは腫瘍だと言い出した。s上結腸癌だと大病院への紹介状を書いてもらっていくと、すぐ手術する、明日か明後日と言われおどろいた。余命何年、何か月かと聞いてもわからないが手術をしないと1週間で死ぬと脅された。



あわただしく準備をして即入院。翌日には数時間の手術が行われ、無事摘出しました、大腸の外には広がっていないのですぐ転移はしないと思うが、5年は様子を見ましょうと言われた。全身麻酔で手術はあっけなかったがその後は大変だった。痛いのに無理やり歩かされて看護婦が美人だったのが唯一救いだった。寝ている間にその看護婦に導尿管をチンボから引き抜かれていたのは恥ずかしくなった。
次の年に内視鏡で小さな腫瘍があるといわれてまた内視鏡でえぐられたが、その後は内視鏡はいいと断り二度とやらなかった。
5年たってもう大丈夫と言われ無事放免された。

75歳ごろ車を運転していて高速道路の道案内パネルがにじんで読めないことに気づき、眼科で聞くと白内障ですね、手術をすれば治るといわれた。

白内障
眼の手術は2度目で大病院で水晶体の交換で見えるようになった。目の手術は部分麻酔なので、水晶体が外されて完全なピンボケ状態から、プラスチックレンズを差し込んで見えるようになるまですべて見れた。
周りがキラキラして見づらいと医師に言うとすぐ慣れるといわれた。強い近視だったが弱い近視になってメガネがなくても一応見れるようになった。水晶体と違いプラスチックレンズなので遠近の焦点調整はできないがなれると気にならなくなる。

今は目にプラスチック、耳に補聴器とサイボーグ状態になっているが科学の進歩は素晴らしいと思う。


ビリヤード

  40年前(儂がまだうら若き30台のころ)に撞球にはまってほぼ毎日通っていた。そこそこうまくはなったが仕事が急に忙しくなってしばらく離れていた。

結婚し、会社も軌道に乗り、息子も大きくなってきてまたやりたくなって撞球場に行っておどろいた。当時はビリヤードといえば四つ球でポケットをローテーションといい10台中1台しか置いてなくて素人が遊ぶものだと思っていた。ところが今や四つ球はほとんどなくてすべてポケットゲームになっている。仕方がないのでポケットをやってみたがちっとも面白くない。

当時の撞球場のマーク
ビリヤード屋に話を聞くとハスラーという映画が大ヒットしてそれ以降ビリヤードといえばポケットのこととなったようだ。

今は四つ球台を置いているのは神奈川県には一軒しかなく、渋谷や新宿に行けばあることはある。一度渋谷ESTまで行ってやったが2台しか置いていなくてやっているのは儂らだけだった。

四つ球を知らない人がいるので、説明すると赤2個、白と黄色の4個の玉を使い、白または黄色の玉をついて残りの3個のうち2個に当てると1点で続けてつける。(昔は赤白で2点、赤赤で3点、3つ充てると5点だった)持ち点がそれぞれ50点とか持って突ききると勝ちだ。

至極単純なゲームであるが球を集める(寄せる)と続けて突けるがそのためのテクニックがむつかしい。うまい人だと1回で500点とか突く人がいる。儂はせいぜい10点ほど突くとミスる。40年ぶりだから仕方ない(とこれは言い訳)。

四つ球台が近所にないがやりたいので3Dプリンタで穴を塞ぐ側を作ろうと考えた。1か月ほど試行錯誤してようやく作った。


隅側のクッションが他と違ってうまく反射してくれないがポケットに落っこちるよりましだと。これをポケット6か所にはめる。
球はポケット用の球のうち白と赤と赤ストライプ、アマゾンで買った白球を使ってやる。そうなると昔あったそろばん(名前は知らない)がないのでスコアをホワイトボードに書くことになるがとても面倒なので簡単なスコアソフトをVBで作った。

撞球場に必ずあったそろばん
ビリヤードスコアアプリ

自分で使うだけなのでごく簡単に。せっかく作るならとスコアが面倒なローテーションと15球と5ピンもついでに作った。(15球と5ピンは機会があれば説明したい)それでもバグが出て結構手間がかかってしまった。

妻と息子の3人で近くのビリヤード屋に行ってやるようになった。最近は二人も四つ球をやってポケットはあまりやろうと言わなくなった。(儂に遠慮しているかも知れんが)

はじめ儂が50点で息子25点で始めたがまるでかなわないので同じ25点でやっている。妻は10点でもきついようだ。

儂は40年ぶりでかなり勘がくるっていて、押しも引きもミスが目立つ、マッセに至っては当たらないやら、とんでもないほうへ飛んでいくやら、それでも理屈だけは達者なのであれこれ指導しようとするが息子はうっとうしいらしく聞いてくれない(妻は聞いてくれる)。それでも徐々に勘が戻ってきて勝てるようになってきたので25と20にしようとしたら不満らしくムスッとしていた。

でもやろうというと付き合ってくれるのはとっても嬉しい。

ボウリング

 今一番嵌っているのはボウリングである。



でも成績はさっぱりで20年ほど前に妻に手ほどきしてボウリング仲間に引きずり込んだが、このところ負けてばっかり。

20年前は200を連発したもんだがが今は140とか170程度で、妻は170から200を出している。勝てない😰

昔はブイブイ言わせたもんだと意味のない自慢をしているのが我ながら情けない

それでもやめないのは血圧だ。ボウリングやった日は120台まで下がるがその後は130,140,150とじわじわ上がっていく。

毎日散歩はしているが、それでは一向に下がる気配もない。

というわけで負けても負けても懲りずに毎週2回妻とボウリングに行く。

でも負けるのは癪に障るのでなんとか勝ちたいと筋肉トレーニングもしている。

だから球速、18km/hから20km/hまで出るが妻は16km/hがやっと、だがなぜかストライクになる。もっとも奴はスペアミスをしない。儂はどうもミスが多い。

何事も妻のほうがしっかりしているのが悔しい

それはともかく高齢者はボウリングをやるべきだ。

とりあえず健康でいられるのはボウリングのおかけだと思っとる。

なんといっても手軽にできる。それでも2時間もやるとヘロヘロになる。

ランニングはいいかもしれないが、この歳だと着替えるのが億劫

最近ボウリング場が減ってきているのがとても残念である。

息子も最近うまくなってきてこの間は2勝2敗だったがトータルで勝てた。
でもいずれ負ける時が来るだろう

妻に負けても息子に負けてもやめないぞ!!

はじめに

78歳になる老人(儂)の話をしようと思う。この年になってブログやるやつも少ないだろう。多少の希少価値はあるかもしれない。

儂は小さいソフト会社をしているが、実際の切り盛りは妻が一手にやっていて、儂は時折出てくる客からのエラー情報をみてバグフィックスをするだけだ。だからありあまる時間はある。そこで趣味でソフトを作ったり、鉄道模型(なかなか完成しない)をいじったりしている。ほかにはボウリングとビリヤードにはまっている。絵画やピアノやEベースやテニスもやってみたが適性がないのでやめた。でも当年78歳(の糞爺)になり、5年前に大腸がんで手術をしたときはこれで終わりだと思ったが、今は矍鑠(かくしゃく)としている(自分で言うか)。その結果健康にはすこぶる関心があり妻からは健康オタクだといわれている。

年寄りのコンピュータや趣味の話や健康の話題を残された時間だらだらと書いてみたい。誰も読んでなくてもいい、気が向くままに書いていくつもりだ。

爺の繰り言のはじまり、はじまり...

鉄道模型

 息子が幼いときはよく踏切まで電車を見に行ったものだ。その後は電車のおもちゃを買い与えるととても喜んだ。最初は木製レールを買い与えた。とても喜んで暇さえあれば出して遊んでいた。プラレールは儂が嫌いで買わなかった。 6歳ぐらいから鉄道模型のNゲージを買ってあげた。これは少し早かった...